Europe Watch

 これまでイギリス、アメリカ、ドイツと移り住んできたビジネスマンが、海外での暮らしや習慣、ビジネスなどについて様々な視点から語るブログです。
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日本から届いた雑誌を読んでいて、日本の企業が「多様性」を重要視しはじめて女性の積極登用や国際化といった動きを活発化させているものの、実態はまだまだ苦労しているという記事を目にしました。

アメリカの社会や大学がよく強調するのが社会における“Diversity” 「多様性」の重要さです。ダーウィンの進化論やスペンサーの社会進化論のように、多様性こそが文化を永続的に発展させるためのエネルギーを生み出す源だと信じられています。ですから、人種はもちろん、個々人の多様性に対する理解を国民に求めています。異なる文化やバックグラウンドの人が触れ合うことによって、何か新しい考え方やアイデアが生まれ、それが時代を前に進めるエネルギーとなる。私にとっては、かつてアメリカに留学したときに初めて触れた考え方で、さすがアメリカ、と感銘を受けたものです。

しかし、元来多民族社会のアメリカが、多様であることの重要性をいまさらのように強調しなければならない背景には、多様性を維持することの難しさが隠れているように思います。アメリカという国の実態は人種の混合というより、様々な人種、出身の人のコミュニティーの集合体ともいえます。その頂点にマジョリティである白人が君臨しています。そしてそれぞれは水と油のように、放って置くと分離してしまう。私が留学していた大学院では、黒人はBlack MBA Associationというクラブを作って黒人同士で固まっていました。それは他の人種を寄せ付けない雰囲気があり、そういう人種での区分けがアカデミックな公の場にも存在することに驚きました。全米の大学に多数存在する、フラタニティFraternity, ソロリティSorority といったエリートグループも(Fraternityが男性中心、Sororityは女性のクラブ)、人種で分かれることが多いようです。一般社会でも、人種ごとに住む地域が異なり、住み分けが起こるのは周知の通りです。このように、人種混合社会というのは、内部では分裂しようという力が働くのが実態です。

アメリカ社会では、しかしながら、こうした壁や矛盾を乗り越えてさらに次に進もうという、社会全体の意思があり、それが上に挙げたように「多様性」信仰として顕れてくるのでしょう。シリコンバレーの成功の背景には中国やインド系の移民や留学生の力が、新たな産業、企業を生み出すのに大きな役割を果たしたといった、多様性のサクセスストーリーが語られますし、アメリカの大学を受験すれば、人種と肌の色を願書に記入させられます。選考過程において、人種がうまくミックスされるように考慮するためです。また、趣旨はやや異なりますが、雇用においても、企業や官庁が黒人やヒスパニックなどのマイノリティを一定数以上雇用するよう義務付けたAffirmative Actionがあります。

人間社会は、たとえるならしょうゆドレッシングのようなもので、寝かしておくと成分が分離してしまいます。アメリカでは、それを時々振ってやって混ざり合わせる仕組み、仕掛けが社会のあちらこちらに作られているわけです。うまくいっていないことも多いですが、そうすることが大事だと信じられて実行されています。アメリカ以上に社会の成り立ち、民族問題が複雑なヨーロッパは、EUという超国家という形で多様性社会を成立させようとしています。

片や、多様性という概念からは遠かった均質な日本社会が、多様性の大事さを謳い出したというのは、注目に値します。背景には経済や文化のグローバル化、少子化による人口減少、経済の停滞といった将来に対する不安があるのでしょう。環境に適合できたものが生き残ることができるという適者生存という考え方から見れば、今後日本がどういう社会を目指すべきなのか、多様性という切り口から考えるのは大事なことだと思います。
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こちら北西ドイツのイースター四連休最後は雪がちらつく天気。今年はほとんど雪らしい雪は降りませんでしたが、ここに来て寒の戻りといった感じです。とはいえ、大きく積もるほどではありません。

最近、ヨーロッパにいながら、アメリカ人と仕事をする機会が増えています。アメリカ人というのは、人の名前をファーストネームで呼び捨てにするのが普通。受ける我々日本人も、それが親しさの裏返しのように好意的に捉えてあげるのですが、そんなアメリカ人の気安い呼び方に眉をひそめるヨーロッパ人は意外と多いです。特にドイツでは50代より上の人はビジネスでファーストネームは普通使いません。ファーストネームを使うのは学生時代からの知り合いとか、家族の間だけという不文律が年輩の人にはあります。どこに境目があるのか分かりませんが、40代以下のアメリカナイズされた世代から下では、ドイツ人でもファーストネームで気安く呼び合うことが多く、このあたり、かなり明確に世代間ギャップが見て取れます。

イギリスも基本的にファーストネーム文化ですが、ビジネスの場面では、結構気取って”Sir”とか、”Mr”という敬称を使ってSurnameで呼ぶことも多いです。そこには日本人でもなじみやすい節度がまだ感じられます。電話の押し売りでさえファーストネームで呼び捨てにされるアメリカとは少し違う。

日本人の名前を呼ぶのにファーストネームで呼ぶべきか、ラストネームで呼ぶべきかと外国人から訊かれることがたまにあります。日本人と仕事をしたことがある外国人は、日本人同士がビジネスでファーストネームを使わないことを知っているからです。そんな時私は、

「日本人には”san”という敬称がとても便利だ」

と教えます。日本人でも欧米のファーストネーム文化は理解していますので、ファーストネームで呼ばれることで機嫌を損ねる人は普通いません。かといって、相手を立てたいときや目上の人にはファーストネームの呼び捨てはちょっと抵抗感があるという場合も多いです。そんなときは、”Hiroshi” ではなく、”Hiroshi san”にすることで、十分な親しみを持たせながら、見下す感じにならない。また、”Mr Sakai”だと堅苦しすぎるという場合でも、”Sakai san”とすることで、節度を保ちながら、やや砕けた感じになる。日本人とのビジネス経験が豊富な外国人ほど、このsanをうまく使い分けています。しかもこの”San”は男性女性を選びません。

Sanというのは欧米にはない、とても便利な敬称なのです。
     
週末、近所の空き地にサーカスがやってきたので子供たちを連れて見に行きました。サーカスといっても、木下大サーカスのような立派なエンターテイメントとは程遠く、数人の芸人一座が手作りで行う小規模で素朴なものです。怖くない綱渡りに、お寒い道化師、象のいない馬とロバだけの動物芸に、ちょっと危ない火炎術といった、お約束の芸の数々は、華麗さよりもうら寂しさを感じさせます。ある日に看板が出たと思ったら、水曜日に空き地に忽然とテントが姿を現し、週末だけショーを見せて、月曜には派手な色のトレーラーに一団と機材を積み込んで、次の町を目指す。まさに巡業一座。

ヨーロッパにはこうしたサーカス一座や、移動遊園地がたくさんあって、それぞれが各国各地を年中ぐるぐる巡っています。イギリスにもありましたが、ドイツではより頻繁に見かけます。アメリカでは出くわした記憶がないので、これはヨーロッパならではの風物と言えるのでは。思えば、フェデリコ・フェリーニの”La Strada”(「道」)や、パトリス・ルコントの橋の上の娘などはこうしたサーカス一座がドラマの舞台として描かれていて、彼らの暮らしの厳しさとわびしさが強く印象に残る映画です。でもよく考えたら、サーカス一座はアメリカ映画にも登場しますね。「ダンボ」なんていう名作もありましたが、フランシス・フォード・コッポラのミュージカル映画「ワン・フロム・ザ・ハート」ではナスターシャ・キンスキーが美しいサーカスの踊り子として登場します。どちらもアメリカが舞台でした。

     
若い頃、当時の事業部長に「TIくんは、ロックとクラシックとどちらが好きなの?」と訊かれれたことがあります。音楽の好みで、アメリカに向いているか、ヨーロッパに向いているかがわかるそうで、それによって部下をどこに駐在させるか、決めていた・・・とはさすがに思えないけれど、参考くらいにはしていたのかもしれません。

そのとき私がどう答えたか、今となっては思い出せません。ロックはアメリカよりブリティッシュが好きだけれども、ジャズやフュージョン、R&Bなんかも好きだし、つまり、イギリスとアメリカのどちらでもいけたかもしれません。ボサノバなどの南米系もOK。その後、当時の事業部長はもういないものの、結局はイギリス、アメリカ、ドイツと欧米を巡ることになりました。

さて、そんなハイブリッドな私ですが、最近の好みは音楽も映画ももっぱらヨーロッパに傾倒しており、ジャズでも最近は本場アメリカのものだけではなく、こちらヨーロッパのジャズを愛聴しています。

     
暴風が吹き荒れた今日のドイツでした。激務が続く中風邪をひいてしまい、体がつらい昨今です。

9歳の娘の同級生にアメリカ人とドイツ人の両親を持つ子がいるのですが、その子が近々、ドイツの現地校に転向することを決めました。その理由が、英語とドイツ語が混ざってしまうことを防ぐためだそうです。言語的に似たような単語が多いためか、双方が交じり合って混同してしまうようになってしまい、心配した両親は、ドイツ語を母語として定着させるために転校させるとのこと。その話を聞いた複数の親からも、同じようなことを心配する声が聞かれたそうです。娘が通う小学校では、授業はすべて英語で行われますが、生徒の半数以上はドイツ人の子女。彼らにとってはドイツ語が母語なのに、英語が強くなり、双方の言語が混じってしまうわけです。

言語がお互い似通っているために混同してしまうことは、多言語環境で育つヨーロッパの子供には時々見られるようで、ドイツに住むオランダ人夫婦の息子さんは、自宅ではオランダ語なのに幼稚園でドイツ語環境に放り込まれ、自宅でもドイツ語が混じりだしてしまうようになったと言っていました。双方の言語はよく似ていますから、実にありえる話です。

別の家族の場合。
     
毎朝、私が通勤途上に車で娘を学校まで送って行きます。途中、娘の学校の近くにあるドイツ人の小学校のそばを通ったとき、「ドイツ人の学校は嫌い」と娘がぽそり。どうして?と訊くと、「ドイツ人の子供たちは、日本人をちびだって馬鹿にするからいや。」と言います。娘は同学年の白人の子供たちと比べても小さいわけではないので、ちびだとからかうのは、人種差別に根ざした言葉でしょう。分別のある大人なら、頭で思っていてもそういうことは言いませんが、子供たちは思ったことをそのまま面白半分に口にします。言葉が分からなければ、とりあえず気付きませんが、ドイツ語が分かる娘には何を言われているのか分かってしまうようです。

私は、日本人としてドイツなどに暮らしていて、
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TI

Author:TI
日本を離れて八年。イギリス、アメリカを経て現在ドイツ在住。30代も後半に入ったビジネスマンで二児の父。

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