Europe Watch

 これまでイギリス、アメリカ、ドイツと移り住んできたビジネスマンが、海外での暮らしや習慣、ビジネスなどについて様々な視点から語るブログです。
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最近、周りのドイツ人やオランダ人、イギリス人などから、「日本に帰ることになって感想はどう?」とよく聞かれます。単なる挨拶代わりの質問ではありますが、その裏には、「日本なんかに帰ったらまた生活が大変だよね。かわいそうに」という哀れみが含まれていると感じる場合がよくあります。日本=「残業地獄」、「通勤地獄」とか、「休めない」「家が狭い」、「物価が高くて生活が苦しい」といったネガティブな先入観が固定化されているわけです。彼らから見れば、極東の生活後進国からやって来た日本人が、豊かで自由なヨーロピアンライフを満喫して、また不自由な監獄に連れ戻されていくというイメージがある=だから可哀想、となるわけです。そこには日本の生活レベルを一段下に見る、ヨーロッパの傲慢さがあり、偏見や認識違いもありますが、いくばくかの真実が含まれているのも事実。

私の隣人はドイツ人の銀行員で、奥さんがイタリア人。先日通りかかったときに話をしたら、彼らは今週から奥さんの実家のあるトスカーナに家族で帰省するとのことでした。どれくらいの期間銀行を休むのと訊いたら、あっさり三週間だと言います。こちらは一週間ぶち抜きで休むのがやっと。日本に帰ればほぼ暦どおりですから、それも難しくなります。ドイツやオランダ、フランスといった国々では二週間から三週間の夏期休暇は当たり前。北欧では一ヶ月丸まる休みという人が主流だと聞きます。休めばよいというものではないという議論があるのは百も承知ですが、休むことが既得権益として市民社会の仕組みに組み込まれているヨーロッパの人にとっては、滅私奉公を強いられるような日本社会のあり方は、受け入れがたい社会主義的、会社主義的考え方と映ります。

以前、イギリスからアメリカに引っ越すとき、多くのイギリス人の反応は「何を好き好んでアメリカへなんか」という感じでしたが、当時の上司だったイギリス人は「アメリカの生活はイギリスよりもQuality of Lifeが高いからいいよ」と言いました。実際に住んでみると、確かに物質的な衣食住の豊かさではアメリカのほうが上を行っていました。また、別のケースでは、先月、同僚のオランダ人女性は「憧れのアメリカ」に引っ越すと言って、サンフランシスコに引っ越して行きました。アメリカと言えば、見下す人も多いヨーロッパですが、このように、一方で憧れの感情も強いのも事実です。

国の魅力が人を惹きつけ、活力を生み出し、それが政治的にも国力を高めるというソフトパワーの時代です。日本のライフスタイルが世界でベストではないのは事実でしょうが、一方で日本は自己PRが下手なのも事実だと思います。「なぜ外国人が日本に住みたいと思わないのか」「なぜ日本人が日本から脱出したいと思うのか」といった点をより掘り下げて考えて、将来に通じる魅力的な日本を形作っていきたいものです。
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静寂を重んじる文化を培ってきた日本が、実は世界で最もうるさい街を作り上げてしまっている矛盾をついた日本在住の外国人のコラムを読みました。芭蕉の句『古池やかわず飛び込む水の音』を引用し、現代日本ではとてもそんな音は聞き取れないだろうと苦言を呈しています。駅のアナウンスに発車のメロディ、拡声器を使った選挙演説、暴走族、レストランのBGM、エスカレーターの注意など、私がいつもうるさいなあと不快に感じている騒音をそのまま取り上げていました。

ロンドンの地下鉄もドイツの国鉄DBも、駅に入ってくる電車のアナウンスなどないし、ましてや発車のメロディもありません。目の不自由な人のための横断歩道信号の音も日本では考えられないほど簡素で静か。街頭で拡声器で演説することは法律で禁じられていますし、レストランは音楽を聴くところではなく、会話を楽しむところだと認識されています。車の改造はほとんど不可能なほど法規制が厳しいですし、エスカレーターでは乗り方をわざわざ教えてはくれません。

     
日本から届いた雑誌を読んでいて、日本の企業が「多様性」を重要視しはじめて女性の積極登用や国際化といった動きを活発化させているものの、実態はまだまだ苦労しているという記事を目にしました。

アメリカの社会や大学がよく強調するのが社会における“Diversity” 「多様性」の重要さです。ダーウィンの進化論やスペンサーの社会進化論のように、多様性こそが文化を永続的に発展させるためのエネルギーを生み出す源だと信じられています。ですから、人種はもちろん、個々人の多様性に対する理解を国民に求めています。異なる文化やバックグラウンドの人が触れ合うことによって、何か新しい考え方やアイデアが生まれ、それが時代を前に進めるエネルギーとなる。私にとっては、かつてアメリカに留学したときに初めて触れた考え方で、さすがアメリカ、と感銘を受けたものです。

しかし、元来多民族社会のアメリカが、多様であることの重要性をいまさらのように強調しなければならない背景には、多様性を維持することの難しさが隠れているように思います。アメリカという国の実態は人種の混合というより、様々な人種、出身の人のコミュニティーの集合体ともいえます。その頂点にマジョリティである白人が君臨しています。そしてそれぞれは水と油のように、放って置くと分離してしまう。私が留学していた大学院では、黒人はBlack MBA Associationというクラブを作って黒人同士で固まっていました。それは他の人種を寄せ付けない雰囲気があり、そういう人種での区分けがアカデミックな公の場にも存在することに驚きました。全米の大学に多数存在する、フラタニティFraternity, ソロリティSorority といったエリートグループも(Fraternityが男性中心、Sororityは女性のクラブ)、人種で分かれることが多いようです。一般社会でも、人種ごとに住む地域が異なり、住み分けが起こるのは周知の通りです。このように、人種混合社会というのは、内部では分裂しようという力が働くのが実態です。

アメリカ社会では、しかしながら、こうした壁や矛盾を乗り越えてさらに次に進もうという、社会全体の意思があり、それが上に挙げたように「多様性」信仰として顕れてくるのでしょう。シリコンバレーの成功の背景には中国やインド系の移民や留学生の力が、新たな産業、企業を生み出すのに大きな役割を果たしたといった、多様性のサクセスストーリーが語られますし、アメリカの大学を受験すれば、人種と肌の色を願書に記入させられます。選考過程において、人種がうまくミックスされるように考慮するためです。また、趣旨はやや異なりますが、雇用においても、企業や官庁が黒人やヒスパニックなどのマイノリティを一定数以上雇用するよう義務付けたAffirmative Actionがあります。

人間社会は、たとえるならしょうゆドレッシングのようなもので、寝かしておくと成分が分離してしまいます。アメリカでは、それを時々振ってやって混ざり合わせる仕組み、仕掛けが社会のあちらこちらに作られているわけです。うまくいっていないことも多いですが、そうすることが大事だと信じられて実行されています。アメリカ以上に社会の成り立ち、民族問題が複雑なヨーロッパは、EUという超国家という形で多様性社会を成立させようとしています。

片や、多様性という概念からは遠かった均質な日本社会が、多様性の大事さを謳い出したというのは、注目に値します。背景には経済や文化のグローバル化、少子化による人口減少、経済の停滞といった将来に対する不安があるのでしょう。環境に適合できたものが生き残ることができるという適者生存という考え方から見れば、今後日本がどういう社会を目指すべきなのか、多様性という切り口から考えるのは大事なことだと思います。
     
毎朝、私が通勤途上に車で娘を学校まで送って行きます。途中、娘の学校の近くにあるドイツ人の小学校のそばを通ったとき、「ドイツ人の学校は嫌い」と娘がぽそり。どうして?と訊くと、「ドイツ人の子供たちは、日本人をちびだって馬鹿にするからいや。」と言います。娘は同学年の白人の子供たちと比べても小さいわけではないので、ちびだとからかうのは、人種差別に根ざした言葉でしょう。分別のある大人なら、頭で思っていてもそういうことは言いませんが、子供たちは思ったことをそのまま面白半分に口にします。言葉が分からなければ、とりあえず気付きませんが、ドイツ語が分かる娘には何を言われているのか分かってしまうようです。

私は、日本人としてドイツなどに暮らしていて、
     
私はこの十年、日本はもちろん、イギリス、アメリカ、ドイツでフラット、家探しを繰り返してきました。そんな中で、賃貸情報での住居の情報の示し方に、各国それぞれ違いがあることに気付きました。例えば、日本の場合、家の方角がどちらを向いているのかが必ず表示され、南向きかどうかで値段まで変わってきますが、欧米ではどちら向きかということは、めったに話題にならないようです。理由の一つはおそらく、欧米では家にしてもフラットにしても、窓が複数の方角にあることが多いからだと思います。我が家の場合、各部屋は東と西、必ずどちらかに面しており、いつの時間でもどこかの部屋には光が差し込みます。

イギリスでは、住居の広さが数値で表示されません。住宅情報誌から広さが推し量れるのは部屋数だけです。これまで、イギリスでたくさんの家を見ましたが、その家が何平米あるのか、一度も見たことも聞いたこともありません。家主なら土地を買うときに分かるのかもしれませんが。各部屋ごとの広さまで分かる日本とは大きな違いです。

また、イギリスの場合、家の外観がジョージア王朝風か、ヴィクトリア王朝風か、チューダー王朝風かといった、建築様式にこだわりがあり、物件情報にはたいてい様式名が書かれています。建築年数は古いほうが価値が上がり、築三十年くらいだと比較的新しい部類に入ります。あと、面白いなと思ったのは、イギリスの場合、家の前の道が行き止まりになっていることがプラスになることです。通り抜ける車や通行人がないため、安全で静かということが売りになるのでしょう。イギリスではこれをCul de sacとフランス語風に呼びます。

一方、ドイツでは、
     
欧米は労働市場が流動的とよく言われます。つまり、転職をしやすい環境が整っており、みんな一社にこだわらずに転職を繰り返すのが普通とされます。本当にそうかと言いますと、実際には国によって多少差があります。まず、法律的に見て、アングロ・サクソン・モデルの英米と、独仏などの大陸ヨーロッパではかなり違いがあります。人を解雇して入れ替えやすい英米と、労働者が様々な法律で守られている独仏。例えばドイツの場合、こんな制約があります。

 会社は労働組合員を経営陣に入れることが義務付けられている。
 似たような仕事をしている勤続年数の長い人と短い人がいた場合、能力に関係なく、年数の短い人から解雇しなければならない。
 あるポジションの人を解雇してから半年以内に、同じポジションで新たな人を雇いたい場合、前任者を再雇用しなければならない。

この手の法律に詳しいわけではないので、正確ではないかもしれませんが、私が実地に見聞きした状況はこんな感じです。フランスも各種似たような法律で労働者を不当解雇から保護しています。そして、会社は解雇した従業員からの訴訟リスクに常にさらされています。このように、色々と法律で守られているドイツの労働者ですが、それでも、この一、二世代のうちにぐっと転職が一般的になったようで、四十代から下では、転職は当たり前となってきました。

一方、これらしがらみの多い独仏型雇用契約に比べると、イギリスはあっさりしたもので、解雇にまつわる制約はかなりゆるくなっています。アメリカも同様です。その分、労働市場が弾力的で、自主転職、解雇やレイオフ含めて、人が活発に動くのがアングロサクソン型の特徴です。私の知り合いでも、30代半ばになれば数社を渡り歩いているのが当たり前で、転職していない人は、逆に向上心や上昇志向がないのではないかとみなされるとさえ言われます。

終身雇用が崩れて、転職率が高まっていると言われる日本ですが、まだそれでも、いわゆる日本の大企業では転職をする人というのは少ないわけです。でも、一度ブームに火がついたら燃え広がるのが早いのが日本。日本の労働市場の流動化も、近い将来、一気に進む可能性があります。その前に日本政府と企業は、英米型を志向して自由な労働市場を築くのか、それとも大陸欧州型でいくべきなのか、独自のスタイルを堅持するのか、きちんと議論される必要があるのではないでしょうか。
     
イギリスでは、オフィスビルなど、公共のトイレに出入りするための扉は二枚なければならないと法律で決まっていると聞いたことがあります。確かに、イギリスの公共建築のトイレの多くでは、トイレの入り口の扉を開けるとその奥にもう一枚扉があり、それを開けてようやく洗面所にたどりつけるようになっています。個室(Cubicle)に入るにはそれからさらに扉を開けるわけです。なぜこういう構造を法律で定めているのでしょうか。推測ですが、扉を一枚開けたときに、外から直接トイレのエリアが見えないようにという配慮かと思います。それとも臭いが外に漏れてこないようにということなのでしょうか。普通はそんなに臭うとは思えないので、おそらく前者でしょう。でも、飲食店のトイレではトイレの扉とテーブルが近い場合もあるので、イギリス式であればありがたいかも。消防の観点からも何か理由があるのかもしれません。

一方、どちらかといえば羞恥心に欠ける(笑)ドイツでは扉二枚という規制は特にないようで、オフィスでも空港などの公共建造物でも、扉を一枚開ければそこはもう洗面所、というところが多いです。

日本だと、入り口が折り返しになって外からの視界をさえぎるようになっているだけで、扉がない構造のトイレも多いようです。でも、先日東京の街角で見かけた公衆トイレは、外から中の小便器が直接見えてしまう構造でした。人通りのある街中ですから、ちょっとデリカシーがない。

それを上回るのが噂に聞く、扉のない中国の丸見え公衆トイレ。欧米人、日本人から見ればとんでもないということになりますが、中国ではそれでもよいとされてきた社会的背景があるのでしょう。トイレの作り方にもその国の文化や慣習、伝統が出てくるのです。
     
今日から仕事で日本に来ています。今回は東京に三泊の予定。八月以来、半年振りの日本ですが、冬ということになると、二年前に来て以来です。火曜日の夜にフランクフルトを発ち、10時間半のフライトで、成田到着は水曜日の午後3時半ごろ。都内のホテルまでリムジンバスを利用しますが、夕刻の渋滞などもあり、チェックインするのは午後6時を回ります。

欧米から日本に来た外国人がまず驚くのは、礼儀正しさと(リムジンバスで、チケットもぎりの人が発車前にバスに乗ってきて、乗客全員に向けて頭を深々と下げるのを見て彼らは感動します)、そして、東京の巨大さだといいます。

なんといっても成田から都内までの一時間半(これが遠い)、街が途切れることがありません。私の知る限りではクアラルンプール新空港からクアラルンプール中心部までもかなり距離がありますが、あちらは途中はずっと熱帯のジャングルです。こちらは佐倉あたりを過ぎればあとはずっとコンクリートジャングル。

都内に入ると密集度はさらに増し、見渡す限りビルの森で、そのビルの一室一室に人が働いているのが見えると、その数の多さに気が遠くなる思いです。首都高速などは外国人には迷路にしか見えないでしょう。皇居周辺を除けば緑があまりにも少ないことも残念です。

人口800万人のロンドンでさえ、車や電車で20-30分も走れば緑豊かな郊外に出て、牧場で乗馬を楽しんでいる人などを見かけることができますし、ニューヨークもしかり。ドイツなどはフランクフルトでさえ人口200万人程度ですから、そもそも都市が分散しています。日本の首都圏は3000万人が暮らすといわれますが、ここまで住居やオフィスが固まっているのは、欧米の先進国では見ることができないのではないでしょうか。

中国などアジアの都市にも人口集中が進み、最近では東京をしのぐ人口の都市はアジアでは珍しくなくなったようです。富が集中する都市に人が集まるのは止むを得ない流れかもしれませんが、人口が集中することの弊害も様々あるわけで、日本人もそろそろ東京一極集中から抜け出して、欧州型のゆるやかな都市形成に舵を切れないものかと東京に来るたびに思います。
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日本を離れて八年。イギリス、アメリカを経て現在ドイツ在住。30代も後半に入ったビジネスマンで二児の父。

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